ペリリュー島に捧ぐ

2015年04月09日 21:20

今年は戦後70年。
両陛下は、ペリリュー島へ、慰霊に行かれた。
 このニュース、義母が知ったらどれだけ泣いただろうかと思う。義母はすぐ上の兄を、この島で亡くしている。


ペリリュー島

天皇の慰霊の旅は、硫黄島(平成6年)、サイパン島(同17年)に次ぐが、今までペリリュー島の戦いは、あまり知られることがなかった。それは、あまりに死者が多く、語り伝える者がいなかったから、とも言われている。

数字は伝える。
日本軍 戦死者 10,695名
捕虜 202名
最後まで戦って生き残った者34名

アメリカ軍  戦死者 1,794名
戦傷者 8,010名 ※この他に精神に異常をきたした者が数千名いた。

また、こんな文献もみつけた。
「ペリリュー島攻撃は、米国の歴史に於ける他の如何なる上陸作戦にも見られない、最高の損害比率(約四〇パーセント)を出した。

既に制空、制海権を手中に納めていた米軍が死傷者併せて一万余人を数える犠牲者を出して、ペリリュー島を占領したことは、今もって大きな疑問である。」
  ──元太平洋方面最高指揮官C・Wニミッツ著『太平洋海戦史』より


また、こんな一文も記されている。
「旅人よ、日本の国を過ぐることあらば伝えよかし、ペリリュー島日本守備隊は、祖国日本の為に全員忠実に戦死せりと。」
  ──米軍公刊戦史より


ペリリュー島2

義母は'90年に遺族会から、生き残った兄弟でパラオからペリリュー島へ慰霊に出かけた。船の上から海へ花束を投げる写真がおみやげだった。でも、兄がどのように死んだかは、知らなかったのではないか。

靖国神社に行ったとき、戦没者名簿で伯父の写真を見た。十九歳、まだ幼いほどの顔だちだった。
陛下は「先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」とおっしゃった。
だから義母は、泣いたろうと思う。
会ったこともない伯父だが、日本国民として私も胸に熱いものを感じた。一緒に黙祷を捧げたいと思った。