2013年08月15日 09:17
ここには、戦争末期、金属類供出によって、お寺の鐘が紅白のはちまきを巻かれ、檀家衆に見送られながら出征していったという歴史があります。
材質調査のため、本体にはタテに七つ、穴があけられ、上部のイボイボも何個かもぎとられることになりました。

溶かされる寸前で終戦となり、かたちを残して生きながらえたのは、この鐘の強運だったのでしょうか。それとも、みほとけのご意志だったのでしょうか。
胴体に彫られた大和国以下在所の銘をたよりに、鐘は寺にもどされてきたのでした。
本来は浄土への願いとやすらかなる仏の心を伝えるべく鳴らされる寺の鐘。それが戦争の武器として使われようとは、檀家衆はどれほど残念だったでしょうか。しかし、国策として戦争が進められている以上、国民としては、心を一にし、自分たちにできる限りの戦いをしようと思いを定めた結果でした。
こんなものまで材料にしなければ、矢弾にも事欠いた資源小国日本。それでも戦わざるを得なかった事実の、なんと過酷なことでしょう。
鐘は、そんな悲痛なまでの戦いを、物言わず語っています。
番組では、私もこの鐘を衝かせていただき、平和への響きを胸にしまいました。
笑顔ではいますが、二度と戦争が繰り返されることのないようにと、願いつつの鐘の下。副住職とご一緒です。

多くの犠牲を出したこの戦争に敗れて、傷だらけの国だけが残った日。
鐘を通じて、次の世代に伝える思いは無辺です。
そして今なおこうして過去を悼み、省み続ける我々日本人を、これでもなお「歴史を学ばない」と批判し続ける国々にも、せいいっぱい、この現実を伝えていかねばと願います。