2013年02月22日 13:48
このまま歯牙にもかけず我が道を行くのが大人というものなのか、また、人の忘却にまかせてしまうのが賢明なのか。迷ってきましたが、やっぱり立ち位置は定かにしておいた方が自分自身の覚悟のためにも必要と思い、私的なこの日記にて書かせていただくことにしました。
問題は、教育委員の「政治の中立」。
これは、教育の独立性、安定性を守るための言葉で、教育委員会を「都道府県、市町村などの首長から独立した行政委員会」と位置づける理念、つまり、いかなる政治的介入からも中立である、ということを言っています。
言うまでもなく戦前の反省で、政治が教育を致命的にねじまげ国策に利用したことの大いなる反省からきており、誰もが納得することでしょう。
しかしこれが拡大(縮小?)解釈され、教育委員は政治的なことにいっさい触れてはいけない、というような貧しい解釈になって身を縮めている現実があります。
もちろん、「地方公務員法」の中の教育委員会の定めの条項には、「教育委員は特定の政党を支持し政治活動をしてはならない」とあります。
特定の政党に入党して、あるいは贔屓をして、その政党を宣伝したり勧誘したりしてはならない、ということで、これは当然のこと。
一方、今回の事件(?)です。
私は、昨年12月に行われた衆議院選挙に際して、選挙日の一週間前に神戸新聞から取材を受け、13もの党が乱立する今回の選挙についての印象をコメントしました。
私が作家でありコメンテーターを長くやってきていることはみなさんご存じの通りです。教育委員のに任命されたのも、その経験と実績があってこそといえます。
取材した神戸新聞社記者とも、教育委員であることを鑑み、コメントにはあくまで中立的になることを確認し合って記事をまとめてもらいました。掲載前にもちゃんと内容を見せてもらい、問題ないとみずから判断しての掲載です。
コメントの内容は、選挙全般の印象で、13政党すべてについて語ったことを書くわけにいきませんからポイントは絞られ、与党である民主党、巻き返しを図る自民党、そして第三勢力といえる維新の会、この3つについてのコメントが記載されました。
当然、私の意見は、政府である与党への失望や 、追い上げる党についても辛口の要求を望むなど、客観的なものになります。
国民の政治不信が世の閉塞感をつのらせる昨今、一人の国民として、誰もが感じた思いではないでしょうか。
つまり「複数の政党に対して、批判した」のが私のコメントです。
整理します。
「特定の政党」⇨ 「複数の政党」
「支持した」 ⇨ 「批判した」
法律にある「特定の政党を支持した」とはすべて逆。法律には何ら払拭していません。
ところが、県会において、これに噛みついてくる議員があったというのです。
①玉岡は教育委員の政治の中立を侵している
②こういう人がいるから子供たちに政治不信を与える
③こういう人にはやめてもらいたい
というのがそのご意見だったそうです。
情勢不利だったあの政党所属の議員さん、と聞けば、焦っておられたんだろうなあと同情もするのですが、それはそれ。直接私に言ってこられたならば、以下のように答えさせていただいていたことでしょう。
①中立は冒しておりません。
法律の条文のどこにも教育委員は政治についてモノを言ってはいけない、なんて書いてません。この国はどこかの国と違って、言論の自由が憲法に高らかに謳われている国なのです。
②政治不信を与えている? 申しわけありませんが、政治不信を与えているのは政治家自身ではないでしょうか。
③やめろ、だ? はい、いつだってやめましょう。ですが、信任を受けて着任したばかり。いまはその時期じではありませんし、だれか一人の議員に脅されて決めることではありません。
けれども、おかげで自分の立場がはっきりしました。
教育委員が政治家が怖くてモノも言えないなんておかしいし、「政治の中立」を政治家に都合のいいように拡大解釈するべきでない、とのスタンスはいっそう強くなりました。
戦前のように愚かな政治家たちが、学徒出陣だの学徒勤労奉仕など、政治の都合で間違ったことを教育現場に持ち込むとしたら、誰が意見を言い、こどもたちを守ることができるのでしょう。
この経緯については、読売新聞社の担当記者が記事を書くにあたって確認取材の電話をかけてきた時も、しっかりお伝えいたしました。
記事にするかどうかはわかりませんが、と記者は笑っていましたが、残念です、翌日ソッコー記事になっていました。
「玉岡委員が政治の中立に問題あって謝罪」
だまし討ちのような掲載に凍りつきました。
今は教育委員は叩けば記事になると思ってのことだったのでしょうか。
売られたケンカ、買って、派手な場外乱闘とするのがいいのか、ずいぶん思案しました。しかし電話で厳重抗議をするにとどめたのは、記者が、うちの娘と同い年だと聞いてしまったからでした。(オトナはつらいですね。)
結果として、載ってしまった記事についてはしかたがないけれど、今後、他の地域版にも載せるなら、玉岡は謝ってなどいないのだから、そこを正しく、「議員からの意見により委員長から慎重を期すよう注意を受けた」と、事実だけを書くにとどめるように、というのが私の言い分です。
誰かに大声で吼えられたからと言ってすぐ頭を下げるような委員では、かえって県民の不信を招くでしょう。
いろんな立場から、いろんなことを言ってくる人が今後も現れることでしょう。これからはより高度な判断で、ますます大人な対応をしなければならないことを学びました。
けれども政治がまちがっていること、おかしいこと、国民として感じる素直な思いについては、これからもモノ言う人でありたいと思います。
モノ言う委員、玉岡、こんなことでは反省なんか絶対しないし謝りません。私を信じて、しばらく兵庫県の教育のために働かせてくださいますことを。