阪神淡路大震災から18年

2013年01月17日 05:46

 ことしも巡ってきたこの日。
 あれから18年たつのかと、数える時間の長さに呆然とする。
 それは自分の中の感性の鈍り。地表を揺るがして去った、人知をはるかに凌ぐ大自然のメカニズムを前に、人間の小ささ無力さはかなさに、おののき恐れた心の衰微にほかならない。
 18年という時間が、生き残った我々になした慰安の成果であるなら称えよう。しかし失われた命や、懸命に助け合った日々のことも、ただ忘却に流すために費やした時間であるなら立ちどまらねばならない。
 多くを学んだ。多くを享けた。そして多くを自分のものとした。
 体験した我々は、この日この時だけであっても忘れず思いを馳せるべきだろう。

 しかし18年は、その後に生まれた人が着実に育った時間でもある。
 震災を知らないあらたな世代に何を伝え、渡していくか。
 それは今後の大きな課題であるのにちがいない。
 東北を襲った未曾有の大津波を想う。震災は、もはや日本のどこで起きてもふしぎではないという。そしてこの地をふるさととして生きた先人たちは、何度も翻弄されたたきつけられながらも地上にこの文明を築いたのだ。
 風化させない。それは、単に忘れないことでなく、生かされてある自分を前へとつなぐことだ。生きたくても生きられなかった無辜の多くの命を背負い、一緒になって進むことだ。
 うすれゆく日常という名の大河の中で、せめて今日一日、立ち止まって。