2011年11月06日 21:22
私の場合、あのサイアクの体調の中、最後まで訪中団のみなさんと行動をともにし帰国も一緒にすべきか、それとも、群れを離れて単独帰国し、作品の作業を完遂するべきか、要は、ふたまたかけた仕事の締め方に迷っていた時でした。
北京からの飛行機がとれるかとれないかわからない状況でもあり、訪中団に操を捧げ、本は編集者にまかせるしかないか、とも思っていたのですが……。
出発前日の夕焼けエッセーの選考会で、お目にかかった眉村卓先生につい相談したところ、
「僕なら帰るね。その方が後悔しなくてすむ」
とキッパリ。
背中をドンと押された気分でした。
おかげで、選考会の後の打ち上げというのに、食事そっちのけで飛行機のチケットをゲットするのにドタバタ。せっかくの楽しい場を、私個人のドタバタに巻き込んでしまいましたが……。
でも、おかげでこうして悔いなく両方を無事に終えられたのだから、大きな助言でした。ご指摘どおり、一片の悔いもありません。
そしてそして、以前この日記でもぼやいてご心配をおかけしていた新刊記念対談のお相手のこと。
上下二巻組の千枚越える私の作品を読み下せて、しかも対談で私と語っていただき、書評していただける人。
いないですよ、なかなか。児玉清さん亡き後、どなたにこんなことをお願いできるか、困っていましたが、現れました、書評の騎士が。
なんと、それはラグビーの大八木敦史さん。
今や、母校の同志社の大学院でスポーツ社会学を専攻、博士論文に挑戦中。
お忙しくて、大阪マラソンにも出場するとのことで、わずかな期間に読了できるのかしらとひそかに心配していましたが、対談の場に来てくださったときは、全部読み通し、すかっと晴れやか。
なんてたのもしいのでしょう。東京から来た編集者ともども、よかったねえ、と手を取りあわんばかりに喜び合いました。
よく勉強もなさっていて、話もはずみ、すばらしい内容の対談となりました。
しかも最後は、ラガーマンらしい、スポーツ精神でわが「負けんとき」を締めていただけたのは、その一言のために来てくださった、と思えるほどのキメ言葉。
早く皆様にも読んでいただきたいです。
苦労に苦労をした今回の作品ですが、綱渡りも、最後にトトトン…っとうまく落ち着くようで。
この日は私の誕生日だし、終わりよければすべてよし、です。あとはこの病体を治すのみ。未来は明るい!