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京都・竹茂楼にて にほんのならい・By・フェリシモ

2008年02月03日 16:03

 今日はフェリシモしあわせの学校の一日セミナー「にほんのならい ことはじめ」。
 京都は朝から雨でしたが、がんばって着物でおでかけです。
 
 節分の日の京都は、いろいろおもしろいしきたりがあって、舞子さんも「お化け」と称してコスプレとか。
 日本の風俗って、ほんと、奥が深いですね。

 広間に能舞台のある竹茂楼では、京都の情趣に刺激されつつ、次々出されるきれいなお料理に舌鼓。
 そして、いよっ、待ってましたっ、能楽森田流笛方の斉藤敦さん、同じく能楽大倉流小鼓方の久田陽春子さんの演奏に聴き惚れるひととき。
 もちろん、能楽は、こんなはしたないかけ声も拍手も無用なんですけどね。
 歌舞伎にはキャリアのある私ですが、能楽は、うちの近所で毎年夏に開催されている加古川薪能ぐらい。有名なものはいくつか見たことがありますが、笛方、鼓方の演奏だけ聴く、というのは初めてのことです。
 でも、やはり体の中には日本人の血が眠るらしく、わけもわからず鳥肌立つ自分を知りました。能楽にアプローチするのに、日本人に生まれたことは無条件で有利なようです。

 さて、笛も鼓も、かつてその音色をめぐって神わざをきわめるごとき職人たちが魂をこめて琢磨したもの。でも今ではその職人がいないことから、奏者は、数百年前に作られたものを大事に守って使うのだとか。
 ちなみに斉藤さんのお師匠の笛はなんと豊臣秀吉伝来のものだそうで、もちろん斉藤さんご愛用のこの日の笛も三百年(!)という時を経たお笛。片や久田さんの鼓も、五百年(!!)の時を経て現在に伝わるものだそう。

 そんなことをお聞きすると、日本の音楽とは、ただ耳に心地よく上手に聞かせればいいのではなく、奏者が五百年の時を生きた楽器を守り、五百年前の音そのままを生き返らせて未来に伝え、つなぐことなのかもしれないと、じーーーん。
 いや~、奥深い。日本人に生まれたことは、みんなこうした伝統を負っているということ。それをならうかならわないか、それはそれぞれの選択っていうことなんでしょうけどね。

 そして、お待たせしました、トークは、歌舞伎講座でおなじみ、京都造形芸術大学の田口章子先生と、私との対談。
 先生とは打ち合わせなしでもいくらでもしゃべれます。コンビ名、あおぞら「みやこ」「ひなこ」なんて、どうでしょう。もちろん、みやこは、京都にお住まいの美しい田口先生。ひなこは私で、この「ひな」は、田舎の「鄙」でオッケーです。いかが?
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